屋島を訪れた日の夕方、宿から「獅子の霊巌」を眺めていると、
その下に甲冑を着た一人の侍の姿が見えました。
彼は静かに海の方を向き、まるで過ぎ去った戦の記憶を見つめているようでした。
その瞬間、「ああ、やはりここにもまだ彼らはいるのだ」と感じました。
その夜は、ずっと当時の人々の姿や気配が心に浮かび、
部屋の中でも、周囲の空気が少し震えるようなエネルギーを感じました。
戦の中で命を落とした人々――その想いが、静かに近くに集まってくるような夜でした。
しばらくすると、弓矢が体中に刺さった武士の姿が見えました。
彼は苦しそうにうつむいていましたが、私は心の中で「もう大丈夫ですよ」と語りかけ、
1本ずつ弓を抜くようにイメージを送りました。
すると彼の姿は次第に薄れ、やがて光に包まれるように消えていきました。
その瞬間、部屋の空気がふっと軽くなり、安らぎの波のような静けさが広がりました。
翌日、屋島寺の「血の池」を訪れたときのことです。
静かなその場所に立った瞬間、胸の奥から言葉が降りてきました。
それは男性の声で、はっきりと――
「お前は俺を見限った」
と聞こえました。
耳で聞いたというより、心の奥に直接届いたような感覚でした。
意味はすぐには分かりませんでしたが、
その言葉には「見捨てられた」と感じる深い悲しみと、
気づいてほしいという切実な想いが込められているように思いました。
屋島という地には、今もなお、かつての戦の記憶や、
その時代を生きた人々の魂が穏やかに息づいている――。
そう感じながら、私は静かに手を合わせました。
風が頬を撫で、どこかで「ありがとう」と聞こえたような気がしました。


 




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